グレンリベット、ロックで

「30分の小話」は大体30分間くらいしてた話をまとめてます。単話です。

30分の小話

それはいつのことだったか。

家族のものが会社の用事で食事を済ませてくると言うので久々に一人になり、馴染みの店へ向かった。道中、半年ぶりに向かう楽しみと顔を忘れ去られていたらどうしようという不安と相反する感情を抱きながら足取りは軽く向かっていた。

視界にいつもの電飾を捉え、ワクワク感と比例して足早になる。

その扉を開けるとすでにカウンターに何名かの先客がおり、席が空いているのか不安になりつつ足を進めていくと、空いてる席へどうぞとよそよそしい声をかけられ、あぁこれは忘れられたなと空いている席についた。そしてマスターのTさんが、目の前で私の顔を確認すると「春咲ちゃん! 久しぶり!」と明るい声が返ってきたので一安心した。

お久しぶりです、安堵と共にとカバンからシガレットケースを取り出し、まずはタバコを吸うことにした。すると、隣から「え、春咲ちゃん!? 超久しぶり!」と声がかかり顔を向けると見たことがあるような無いような女性の顔があり私は悩むことになる。そう、思い出せないのだ。ここで話をしたことがある女性で私の名前をはっきりと覚えている人物で、派手ではないが綺麗な女性……、Mさん、……ではない。では誰だ。

「ビールでいい?」

カウンター越しにそう声がかかり我に帰り、ビールを注文する。

その間もこの女性は誰なのか思案する。視界に入る情報からタバコは吸っていない、ではたまに出張で来る女性では無い。

「メニューあそこなんだけどさ、コレで見えないからみんな写真撮ってるよ。」

そう、いつものメニューを見上げると確かにビニールシートやパーティションがフィルターになり視認することは不可能だった。

「じゃぁいつものサラダください。アボカドのやつ。」

「あいよー。」

軽快な返答に次に聞かれるであろう質問の答えを返答する。オリーブオイルで、と。このサラダのドレッシングには、オニオンドレッシングとオリーブオイル塩胡椒という2つの選択肢が存在する。私はオリーブオイル塩胡椒の一択だ。

野菜が食べたい時はサラダボールを注文することが常になっていたので今日もそれを注文する。するとその女性が私の悩みを解決してくれた。

「そうそう、春咲ちゃんが教えてくれたんだよね、オリーブオイルと塩胡椒が美味しいこと。」

あぁ!!!

私は頭の中でそう叫んでいた。

確か、2年ほど前に一緒になった女性だ。しかもその時海外から訪れた日本語の喋れない女性と3人で仲良く過ごしたことを思い出す。名前確か……2文字! なんだったかと、もう少しのところで思い出せず脳の奥がうずうずした。

わからない。

仕方ない、誰かがその名前を呼ぶのを待つことにした。

そして話は年末に周年記念に焼酎を持ってきた話になった。全く通えなかったこの店の、せめて周年だけは祝おうと近所の酒屋で仕入れた焼酎を昼間に持って行ったのだった。するとまだ開けていないという話で、今日、いや今、開けようということになったのだ。

「なんで開けなかったんですか。」

「そんな薄情なことできないよー。」

流石に何ヶ月も前のことでとっくのとうに明けてしまっていると思っていたので面食らってしまった。普通そういうものなのだろうか。実のところ、周年祝いをしたのも初めてのことで全くわからなかった。

そしてみんなで焼酎をいただく(?)ことになった。

そして、この時ついにこの女性の名前が判明した。

「Kちゃんも飲む?」

「いただきまーす。」

Kさん!! そうだ、二文字でこの名前だ。

私は全ての思考が落ち着き椅子に深く沈んだ。この30分間悩みに悩んだ結果、自力では思い出せなかったことは悔しいが、相手の心象を悪くすることなく名前を聞き出せたのでよしとしよう。

そしてその焼酎が美味しかったのは言うまでもない。

2時間の小話

それは昨夜のことだった。

家のものが友達と食事に行くというので一人夕飯を済まそうと店を探した。馴染みの店は店主が椎間板ヘルニアの手術のため長期休業しており、せっかくの機会なので新規開拓を試みた。目をつけていたのは、帰り道にある馴染みの店に似たコンセプトの食事のできるダイニングバーと、看板もなく入り口にメニューのみが置かれたバー、の2店だった。その日も朝から食事をすることを忘れていて何も食べていなかったのだが、お腹は特に空いていなかったので、看板のないバーを選択した。

スモークがかった窓ガラスから中も伺えず、頼りは店先のメニューのみだが、女性らしい手書きの文字があり少し安心したのは秘密だ。

店内へ入ると客は誰もおらず、店主らしき女性が一人カウンターに座り水を飲んでいた。

「いらしゃいませ。」

「一人なんですけどいいですか。」

「お好きなところへどうぞ。」

カウンターの一番端に座り、灰皿を受け取る。

と、そのタイミングで入り口が開き、顔を赤若干呂律の回っていないスーツ姿の男性が4人入って来た。タイミングがタイミングだったため、「お知り合い?」と聞かれるが私は首を振って全否定する。私の周りでこんないわゆる品の悪い酔っぱらいかたをするのは自分くらいだ。

その4人の内訳的には50代が2名、30代が2名といったところか。その、30代のうちの一人が私の隣に座り、上司二人に連れられてきてパワハラだのなんだと話し出したのだが……距離が近すぎて、何度「ソーシャルディスタンス!」と距離取ったことか。そして、その4人組のうちの一番偉い人はなぜかカウンターの中に入って会話をしていた。これはもしや自分だけソーシャルディスタンスを保っているのではないか? と、今になって気がついた。やられた。

そして、キープされているボトルがあると見せてもらったのは宮崎の麦焼酎だった。

「すごい濃いから飲んでみて。」

とショットグラスに一杯ご馳走になった。確かに濃厚でまるでいも焼酎かのような香り、そして40度のアルコールが与える喉がカッと熱くなるあの感覚。すぐさま水を流し込む。

ただ、4人組のうちの50代男性2名は一口で空けていたのを見て、テキーラじゃないんだよ、と思ったのは言うまでもないだろう。そして、私に散々絡んできた若者がグラスを空けないと、空けろと強制していたので、ダメですよと何度か言ったのだがまぁ見ず知らずの人間の注意など聞くわけもなく、その後この若者は外で粗相をして連れて帰られた。

さて、なぜかおっさんが集まると、カラオケがしたくなるらしい。運が悪いことにこの店にはカラオケの設備があったのだ。もう、スナックじゃないかと誰もが思うだろう。

そして始まるカラオケ大会。このご時世にカラオケとかこいつら馬鹿か? と呆れたわけで、今思えばここで店を変えてもよかったんだよなぁと少し後悔をしている。

散々引っ掻き回してこの4人組が帰る時、これまた60代くらいの男性と同年代くらいの女性と男性の3人組が入って来た。どうも60代くらいの男性は常連のようで、この騒ぎっぷりに呆れていたのはもういうまでもないだろう。そうだろう。

 

その後、この3人組と店主、の5人で世間話をしてとても心地の良い時間を過ごしたのだった。また行ってもいいなと思ったが、行くなら2軒目だろう。なぜならフードが一切ないからだ。気がついたら、昨日は朝から食事をしていなかった。

お昼休みの小咄

昼休みは自分のタイミングで取っている、と言いたいところだがこればっかりは作業の兼ね合いや先方都合……ようは外的要因により変動することが多い。

そして昼休みは必ずある喫茶店へ行っている。

その店は女性店主が1人で切り盛りをしており、朝はモーニング、昼はランチからのカフェタイム、からのバータイム、と一体いつ休んでいるのか心配になるのだが、とても居心地がよく毎日通っている。

24時間で朝昼晩と3回通っていることもあるほど、お気に入りだ。

そしてこれは昨日のこと。

いつもなら13時には伺うところなのだがその日は13時からリリース作業があり、15時前くらいに店に向かった。

背の低い入口を開けると、リーンと固く長く響くウィンドベルが鳴った。この音は店内まで響き渡るため、なるべく鳴るようにドアを開け閉めしている。なぜなら、店はここから地下へと続く階段を降りる必要があるからだ。予め入店を告げ、席の空きが無ければ階段下からこちらへ合図のために。

そして、何も無く階段を降りて行き、店内に入るのだが……誰も居ない。

おかしいな。

音楽は鳴っているし電気も点いている。何より鍵も開いていた。まさかと思い狭い店内を探すが倒れているわけでは無かった。そのまま待つが5分待てど誰も来ない。1度外へ出て、狭い入口からの入店の流れを辿り直したがないやはり誰もいなかった。

それはまるで、日常から人間だけを切り捨てた異空間へ迷い込んだ感じだったが、異空間を体感しているというよりも、店主はどうしたのかという心配が勝った。この時もっと異空間感を楽しんでも良かったな、と後から思ってしまったのは言うまでもない。

15分が経ち、諦めてコンビニでも行くかと近くのコンビニへ向かった。何を食べようかとサラダの棚を物色していると、見知らぬ青年が、すみません、と話しかけてきた。

「春咲さんですよね?」

名前を呼ばれ、合ってはいるが私はこの人を知らないので、はい? と疑問形で返すことが精一杯だった。

脳内では、誰だろうかと記憶の引き出しに手をかけかけていた、その時。

「(喫茶店名)の奥さんが戻られて。」

店主が戻った?

何故この人は私がその店に居たのを知っていたのだろうかとまた疑問が湧き上がるがそれは次の言葉で解決する。

「あの、奥さんが何度か呼ばれていたようなんですけど気が付かれなくて。」

全く気が付かなかった。

お礼と感謝を述べてコンビニから出ると、道路の反対側にその店主は両手に荷物を持って立っており明るく愛嬌のある声で私の名前を呼ぶので、駆け足で向かった。

「ごめんなさーい。13時にみえなかったから、15時くらいにみえると思ってちょっとパン買いに行ってたの。」

二人桜並木の歩道を並んで歩き店へと向かう。

それにしても。なぜ私の行動パターンが分かるのか。

この人はもしかしたら私より私の習性を理解しているのかもしれない。

 

「今度誰も居なかったら、座って一服しながら待っててくださいね。」

 いいんですかと伺う。

「だからね、いつも(鍵を)開けていくの。」

 そう笑顔で答えた姿を見て、どうしてそこまで人を信用できるかと不思議に思い、そんな無用心極まりないことをしてよく今まで問題になっていないなと関心するが、そうか、まずあの店へ入ろうとする人は少ないだろうし、何より入り口がわかりにくい。初見殺しとはこのことだ。

 

そしてコーヒーをいただきながら、休憩時間いっぱいのおしゃべりを楽しんでその店を後にした。

 

冬瓜の話

先週末のことである。

夕飯の買い物へ出かける際に、家族に何が食べたいか伺うと冬瓜が食べたいと言うではないか。じゃぁ梅煮にするか、と提案したが、サバ缶で煮る、と言うのでまぁ、それでもいいかと思い出かけた。

夕飯の買い物の前にアレルギー検査をしに病院へ行かなくてはならず、採血をした。その際に、重いものは持たないでくださいね、と念を押された。その時は何も気にしていなかったのだ。

いざ買い物ということで、メモしてきた食材をそれぞれ買い物かごへ追加していく。その日は雨も降っていて片手は傘で、片手は薬などが入ったカバンで埋まっていた。

気にせず採血した腕で買い物かごを持ち、空いた手で食材を追加していく。

冬瓜なんて1/4くらいの大きさだろうと鷹を括っていたのだが、実際売られていたものは丸々一個だった。

しかも、陳列棚から取り出すのにかなり苦戦をした。なぜなら私の手では小さくひ弱なため鷲掴みにできず、また下に手を入れることはできなかった。

これは困った。

多分、2〜3分は格闘していただろう。みかねた店員の助け舟でようやくそれは買い物かごへ収まった。

買い物へは一人でくるものではないな。

しかしこれはとても恥ずかしい。

そして買い物を終えてそれを受け取るとかなりの重量だった。

そしてここであの言葉を思い出す。

「重いものは持たないでくださいね。」

……この後、ビールを買おうと思っていたのだが持つことはできないだろう。

 

渋々ビールを諦めて一時帰宅し、食材を冷蔵庫へしまい、また出かけなければならなかった。今度は髪を切りに。

出かけている間に冬瓜の調理を頼み、私は美容室へ向かった。

 

軽くなった髪で帰宅すると大きな鍋いっぱいに冬瓜の煮物が出来上がっていた。それはいい。しかし、量だ、量。家の中で一番大きな鍋一杯に作られたそれを見てもしやと思った。

「冬瓜残ってる?」

「全部使った。」

は?

あの量を? 全部? 私の梅煮は?

そしてこの量を消費できるのかと心配をしたのだが、冬瓜は飲みのだから大丈夫だと言うではないか。

そんなこと聞いたことはないと思ったが、それ以前に結婚するまで冬瓜を食べたことがなかったことを思い出す。

しかし作ってしまったものは仕方ない。

 

そしてその冬瓜は2日で消費することができた。するすると喉を通って胃に収まったのだ。

確かに冬瓜は飲み物かもしれない。

フルリモートをしてみて、感想。

フルリモートを開始し、1週間が経った。

先週はまぁなんのこともなく、必要があれば Slack call で打ち合わせをし、 whereby で本番リリースの立ち合いなどをしていた。

そして、今週。

さすがにここまで一人だと独り言が増えてきた。いつもなら、お茶タイムがあり、おいしいお茶を飲みながら社員で雑談、おやつタイムがあり、おやつを囲みながら雑談、ということがあったので、それがないだけでこんなに独り言が増えるのか!? というくらい独り言が増え驚いている。

雑談まじりに作業をする人が居る職場だっただけにこの反動は大きい。

あと、Slack に雑談を書き込む回数が増えた。

ようは寂しいのだ。

そんなことをしていたら、打ち合わせをした際に、時差出勤ならしてもいいよ、という言葉をいただいた。これは、これは、本当に苦しくなったら気晴らしに出勤しようと思う。

家に篭りっきりは精神衛生的によくない。

いくら好きな時にウサギを愛でることができても、好きな曲をガンガンにかけて歌いながら仕事をしていても、近所の喫茶店で優雅なモーニングを食していても、だ。

もともと人が嫌いではないというかむしろ好きなので、人とあまり関わらないということに慣れないし、会話をしないというのは苦行なのかもしれない。いや、絶対にそうだ。

常に家にいるのは、慣れるまで大変だし慣れたくもない。

早くいつも通りの生活ができるよう、祈ることしかできない。

マスクについての小話

それは昨夜のことだった。

仕事からの帰り道、社長からSlackで、今から通話できるか、とメッセージを受取り、外だけど大丈夫だと返信をした。話の内容は、ようは明日からはフルリモートで、ということだった。

元々PCは持ち歩いているしVPNの環境も整っている。今までも何度か家から対応を行っていたし、毎度の顧客とのMTGもいわゆるテレビ会議というもので実績がある。いつフルリモートになってもおかしくないと思っていた。その時が来たんだ。

私はそのまま、足はいつもの飲み屋へ向かっていた。元々今日は家のものが夕飯を済ませてくると言うので予め予定されていることだった。

おかえり、ただいま、と挨拶を交わし足を進めると、手前のカウンターに1組、カウンターに1人という様子でこの時間にしてはいつも通りだなと思ったのだ。

「聞いてよ、明日からフルリモートになった。」

ラップトップが2台入ったリュックをおろし、コートをハンガーにかける。

「おぉ、そうか。でもさ、遅くない?」

マスターはキッチンで忙しくなく動いていた。こう言う時に、忙しい? と話かけると必ず、ううん暇、と答えるので何も言うまい。

「生?」

「うん、生。」

まずはタバコだ。この間ゴロワーズを買ったので今日はそちらに火を付ける。いつもとは異なるタバコの味。これはこれで好きだが、若干臭いと思う。レーサータバコとして有名だということは後に知ったことだ。

キッチンの酒瓶の間から生ビールがやってくる。

「はい、生。お疲れ様。」

泡のバランスが絶妙なそれを、ありがとうございますと受け取る。

そして一口。これが至福なのだ。

「コロナの影響ある?」

飲み会自粛要請が出され、今日もランチに寄った店でキャンセルの電話を受けているのを聞いていたので心配になった。

「大アリだよ、全然お客さん入らないの。深夜帯に同業者が来るけどさ。みんなキャンセルなんだって。銀座のクラブのママなんてさ、電気消えてるのに入ってきて、『電気消えてるのわかってる?』って言っても『いつもそうでしょ』って言って、ズカズカ入ってくるわけ。本当に人の話聞かないなぁって感じなんだけど、いつもの如く愚痴り出してさぁ、『この四日間で何組きたと思う? 6組よ、6組!』って。銀座のクラブの大変みたいだね」

やはり。

このままの状態が続くと廃業になりかねない。現に旅館が廃業してしまったではないか。

この店がなくなってしまったら私はどこで癒されればいいのか。毎日でも来てお金を落としたいところだが、そうもいかないのがもどかしい。

 

そんなこんなでいつもの日常会話をしていると、見慣れた青年が来店した。これはもしやと思い、耳を傾けているとやはり「キャンセル出たから店閉めてきた」と会話が入ってきた。それは日本料理屋の……仮にMさんとしよう。Mさんは以前も同じ理由で早い時間に来店していた。Mさんの店はいつか行ってみたいとは思っているが、私はこれでも人見知りなのでそこまで会話をできていない。これは目下の課題だ。

そして、マスクの話になった。

まぁ、よくある会話で、売ってないよね、しろって言っても無理だよ、いつかかかってもおかしくないよね、と。

そして、先日Mさんが飛行機に乗った時の話になった。その時Mさんはマスクをしていかなかったのだと言う。

「空港で売ってるかと思ったら全然売ってなくてさ、仕方ないからマスクしないで乗ったわけ。席は3人席の真ん中だったんだけど、四方八方から睨まれてさ、とっさにアイマスクを口元に持ってきたよね。」

……笑った。

爆笑した。

確かに今ならいろんな色のマスクはあるし、ちょっと変わったマスクに見えるかもしれない。しかしアイマスク。

「なんなら蒸気が出るマスクでもすればよかったのに。『あいつマスクから煙出てるぜ』って逃げていきそう」

と、マスター。

それはそれで面白そうだ。

その後2時間ほど滞在して帰路についた。よく飲んだ。

1.5時間の小話 (1)

 それは昨夜のことだった。その日は若手について勉強会へ参加し、終わると近くの居酒屋で反省会をして店を出るとまだ早い時間だったので、一人でいつもの店に行くことにした。

 

おかえり、ただいま、といつもの挨拶を交わすと、いつもは私の帰り際にやってくる夫婦がすでに酒盛りをし、しかも終盤に差し掛かっていたのか奥で旦那さんが眠っていた。

常連のSちゃんの隣がかろうじて空いており、カウンターへ座ることができた。

「今日はLの方が早いよ」

そういつもながら愛嬌のある話し方で笑いかけてくる奥さんのLさんもだいぶ酔っているようだった。よくみるとワインボトルが一本空いている。

「だって二件目だもん。勉強会行って反省会した帰りなんだ」

とよくわからない言い訳をしながらコートをハンガーにかけ、グレンリベットをロックで注文した。

時刻は22時。いつもなら私が酔っ払ってる時間で、いつもとは正反対だが、一応1件目の居酒屋でビールを4杯飲んでいるのでそこそこ酔っ払っていた。

「それでそういうパリッとした服装してるんだ」

Sちゃんのその言葉で気がついたのだが、そういえばジャケットを羽織ってこの店にくることはそうない。私はいつも私服で仕事をしていて、その私服もオーバーサイズを好むのでかなりラフだ。

「久々に着たから堅っ苦しくてさ。Sちゃんいつもスーツでしょ? 肩凝らないの?」

「スーツの方が楽だよ。ワイシャツとネクタイとスーツ選ぶだけでいいんだもん。」

そういうものなのか。

私服だと、ローテーションとか気にしないといけないし大変なんだという。そんなに見ているのかと伺うと、女性は意外と見てるもんだよ、と。……恐ろしい。服装については一応気にはしているが、とやかく言われるのは面倒だ。女性の少ない職場で本当に良かった。

さて。私はSちゃんに聞かないといけないことがあった。今日行った勉強会は営業職の教育についてがテーマだったのだが、どの会社もマニュアルなどなく、OJTといっても隣について仕事を覚え、あとはお前の色を出していけ! がほとんどだったのだ。確かに、顧客によって対応の仕方も変わってくるだろうし、人によってもやり方は変わってくるだろう、そうだろう。ただ何か指針的なものはあってもいいのではないかと思ったのだ。

「そういえば、Sちゃんって部下の教育とかどうしてるの? マニュアルある?」

「え? そんなものないよ。」

 ここにも資料ない組がいた。

やはり、顧客によって対応は変わるし、本人の資質によっても教育する内容は変わる。向き不向きもあるし一概にマニュアル化できない部分はある。それはどの『教育』でも同じことだとは思うが、『営業』という対人となると別なのかもしれない(?コールセンターとかマニュアルあるよなと今思った)。

「そんなちゃんとやってる会社はごく一部だと思うよ」

他業種の経験はあるが、営業職というのは業界によって内容がかなり異なると思っているのでその『ごく一部』がどの業界でどういう営業なのかがとても知りたいところではあったが、Sちゃんの業界では、と捉えた。

「本当に自分の思い通りに動かしたいなら洗脳するのが一番だと思うんだよね」

洗脳とはいささか穏やかではない単語だが、極論としたらそうなのか?  ただ、仕事の進め方は各自で考えて決めていって欲しいと思うので洗脳という選択肢は消えた。いや、はなからないが。

 でもさ、とビールグラスを傾けながら、

 「仕事をする上で、一番芯になる部分が 共有できてればいいんじゃないかなぁ」

という、Sちゃんの言葉がストンと自分の中に入ってきた。そうか、自分が仕事をしている上で大切に思ってしていること、心掛けていることが共有できればそんなに逸れた行動をすることもないのかもしれない。 

 

「ココに、友達作ってこいって一人で投入して、5人作れたらその子は営業の適性があるかもね」

喋らないと強面のマスターに、ほとんど1人で飲みに来て周りの常連との会話を楽しむ客の輪の中に入れたら、それは営業としての適性を見極めるのに簡単な指針になるだろう。

ただ、私の周りの『できる営業』は軒並みコミュ障で初対面の人と会話が出来なかったりするのであくまで指針のひとつ、なのか。

その後、グレンリベットのロックを空けて、ブラントンのロックを注文した。

ちなみに今日は『適量』が注がれていた。

「教育って大変だよね」

ふと呟いたSちゃんの言葉に、そうだよねと相槌を打つ。

そう、どの会社でも悩みの種なのだろう。それは業種問わず、だ。

「うちの業種の営業なんて人間のクズの集まりだから、一回り年上の人に社会人とはなんぞやから教えなきゃいけないからしんどいよ」

ふと出たSちゃんの愚痴に、この人でも愚痴ることがあるんだなと親近感湧いた。

 

今日の収穫は、『営業の教育にマニュアルの会社は少ない』ということになる。

それを踏まえて自分はどうするべきか、また悩むことになったのだ。

そんな簡単に答えは落ちていないしそんなもの身にならないということはわかっていたが、デザインもプログラミングも写経が成長の近道であるように、教育もそうなのかなと少し期待をしてしまっているところだったが、そうでもないらしい。

 

と、いうことがわかったので帰路についたのだった。